mintonの平子ってどんな人?

みなさんこんにちは。mintonの平子(@minton_hirako)です。

自分で事業やってたりすると自分の生い立ちについて聞かれることがあって、そのたびに同じようなことを話してるんですが話し始めると意外と長くて・・・別に隠すことでも無いし毎回同じようなこと話すのも面倒だし、いっそのことブログに書いちゃえ!ってことで纏めてみました。

大した人生ではないけど、面白い人生だとは思います。笑

ただ興味のない人にとっては拷問のようにつまらない内容だと思うので、興味のある方だけ読んでください。

基本情報

名前 ・・・ 平子 将太(ひらこ しょうた)

出身地 ・・・ 長崎県西彼杵郡長与町

生年月日 ・・・ 1979年6月16日

血液型 ・・・ AB型

身長 ・・・ 174cm

体重 ・・・ 70キロあたりをウロチョロ

家族構成 ・・・ 妻と、息子が二人

居住地 ・・・ 埼玉県戸田市

好き ・・・ 焼肉・ラーメン・情に厚い人・責任感のある人

嫌い ・・・ ピーマン・わさび・薄情な人・できないことをできるという人

的を得ているなと思った友人からの紹介文 ・・・ 絵に描いたような苦笑いをする

タイムライン

  • AGE.0 【1979】
    生誕

    1979年6月16日、長崎県に生まれる。父はタクシーの運転手。母は美容院を営む平凡な家庭。

  • AGE.0-5 【1979-1984】
    のぞみ保育園

    好きだった先生とかも覚えてないし、特に書くことない。

  • AGE.6-12 【1985-1991】
    洗切小学校

    小学生のときは実はぽっちゃり(いや、激太り?)していて、お肌もこんがり日焼けしていたせいかどこからどう見ても「健康優良児」という感じの少年でした。

    このときはまだバドミントンはやってなくて、ソフトボール・剣道・水泳などいろんなスポーツにチャレンジしてたかな。

  • AGE.13-15 【1992-1994】
    長与第二中学校

    二歳年上の姉がバドミントンをやっていた影響で地元の児童館で一緒に遊ぶようになり、それがきっかけでバドミントンに興味を持ち始める。

    入学当時、バドミントン部に在籍していた姉の「自分がいるうちは入部するんじゃねぇぞ・・・」という謎の圧力に屈し、中学2年生から本格的にバドミントンを始める。最終的な成績は郡大会(市大会みたいなもの)で優勝、県大会ではシングルスでBest8だったかな?あんまちゃんと覚えてないけど多分そのくらい。

    中学校の部活よりも、地元のジュニアチーム「長与シャトルズ」というチームでバドミントンを基礎から教わった。成績は平凡だったけど、中学3年生のときはキャプテンも任され、バドミントンだけじゃなく礼儀や社会のルールみたいなものもシャトルズでたくさん叩き込んでもらった。恩師の広瀬正子コーチ(現在はコーチではなく監督)には心から感謝してます。

    たまぁ~に「そこビンタ要る?」ってときもあったけどw

  • AGE.16-18 【1995-1997】
    創成館高校

    長与シャトルズの先輩でバドミントンもめちゃくちゃ強かったF川先輩の誘いで創成館高校に進学。その頃は(というか今も)長崎県ではずっと瓊浦高校が強かったんだけど、3年生のときは県大会で優勝できたりもして、インターハイや国体にも出場した。

    県大会で優勝できたことは素直に嬉しかったけど、全国で勝つことの大変さを思い知らされたのもこの頃。インターハイも国体もあんまり勝った記憶がない。まだインターネットが普及してない時代だから記録としても残ってない(ググっても出てこない)のがせめてもの救いw

    一方で、当時はお金の話とかあんまりよく分かってなかったけど、スポーツ特待で高校行ったから少しは親孝行できたのかな?そういえばこの辺の話って親としたことないなぁ・・・今度聞いてみよう。

    高校時代の恩師は森敏弘先生。もう10年以上お会いできてないけど、お元気にされているだろうか、、

  • AGE.19 【1998】
    福岡大学(中退)

    森先生の口利きでベスト電器(当時は日本リーグ(現在のS/Jリーグ)でバリバリだったチーム)への内定の話があったりもしたんだけど、大人の事情とやらでその話が流れてしまい、急遽大学を受験することに。

    経済的な事情もあり夜間の学部(確か商学二部だったかな?)を受験し、無事合格。急展開だったので1ヶ月くらいしか受験勉強する時間なかったんだけど、一夜漬けの勉強は大得意だったので何とかなったw

    夜間学生だったので本来は夕方から授業が始まるんだけど、バドミントンはどうしても “サークル” でやるのが嫌で授業をサボって “体育会” の部活に参加していた。すると先生(教授?)から呼び出され、「そんなことしてたら何年経っても卒業できないぞ・・・」と。

    若かった僕はそのときに全てがどうでもよくなってしまい、両親が無理をしてまで入学させてくれた大学をすぐに辞めてしまいます。。

  • AGE.20 【1999】
    音楽活動開始

    大学中退と同時にバドミントンもやめてしまい、その後しばらくはアルバイト生活。ちょうどその頃、路上ミュージシャンに憧れてギターを始めた。最初のうちは全然下手くそだったと思うけど、若いときは怖いもの知らずだからか、毎晩のように長崎の繁華街にくり出してはギター片手に大声で唄っていた。

    ゆずとか、ジュークとか、ミスチルとか。

  • AGE.22 【2001】
    歌手になりたくて上京

    「音楽やるなら東京でしょ!」という若者らしいノリで上京。何のあてもなく、ギター1本だけ持って。どのくらいの期間かははっきり覚えてないけど、多分1ヶ月弱くらいは井の頭公園で寝袋生活してたと思う。今思うと完全にイカれてるなw

    お金が無いからヒッチハイクで九州まで帰ったりもした。完全に若気の至りですが、乗せてくれた人はみんなとてもいい人たちで、良き思い出。

  • AGE.23 【2002】
    バドミントン再開

    身体がたるんできたので何か運動しないとなーと思い立ち、約5年間やってなかったバドミントンを再開。

    バドミントンが下手になってたのは言うまでもないんだけど、この5年の間に  “ラリーポイント制” に変わってたようで、「セカンドサービス!」って言ったとたん爆笑されて恥ずかしい思いをしたのは今でも鮮明に覚えてる。笑

  • AGE.24 【2003】
    初めてPCを触る

    東京で音楽やってる人って、みんな自分で曲を書くんです。コピーばっかりやってドヤってた僕はここでテンパります。曲ってどうやって作んの・・・?

    それでもいくつかは曲を書いて、ライヴもたくさんやった。せっかく曲書いたんだから音源も作らなきゃ!ってなったときにまた どうしたらいいんだろう・・・? ってテンパって、知り合いのミュージシャンに聞いたら「音源録るならまずパソコン買わないとね」って言われて初めてPCを購入。

    パソコンなんて見たことあるくらいで触ったこともなかったから、電源の入れ方すら分からない。そんな青年が将来IT関係の仕事をずっと続けていくことになるなんて誰が想像できただろうw

  • AGE.25 【2004】
    音楽活動を辞め就職

    PCを購入して恐らく数か月後、25歳のときに音楽を辞めることを決意。理由はいろいろあるけど、一番は自分の可能性を信じられなくなったことかな。

    それでどんな仕事しようかなーと考えたときに、数か月前に買ったパソコンが意外と楽しかったんで、漠然と「パソコン関係の仕事がしたい」と思ってた。

    求人誌を見ていると、小さなシステム開発会社(いわゆるSIer)が「未経験者大歓迎!」という触れ込みで求人を載せていたんですぐに応募して、「めちゃくちゃ頑張ります!」という気合いだけで面接に合格。

    その後、システム開発についてのイロハを学んでいくつかの資格を取ったところで、先輩エンジニアの「このままここで働いてても給料上がらないよ」っていう悪魔のささやきを鵜呑みにし2年ほどで退社。

  • AGE.27 【2006】
    フリーランスエンジニアとして活動

    パソコン歴3年、業界経験2年でフリーランスになるって完全に頭おかしいけど、人間やってみればなんとかなるもんで、金融系や旅行系の案件をいくつか紹介してもらって結局4年間ほどフリーランスとして活動。

    あ、そういえばこの年に「歌スタ!」っていうオーディション番組に出て自分の音楽人生に完全に終止符を打ちましたw

  • AGE.31-34 【2010-2013】
    株式会社BrainPadに就職

    結婚を機に 株式会社BrainPad に就職。「分析」を生業にしている会社で、周りを見渡せば東大卒やら京大卒やらエリートばかり。。本来は僕みたいなもんが正社員として雇用してもらえるような会社ではなかったんですが、たまたま急ぎでVB(Visual Basic っていう言語)を書ける人間を探してたそうで、運よく採用となった。

    最初はある分析ソフトのローカライズ(日本語化)案件に携わってたんだけど、その案件が終わってからはWebサービスの開発やらマーケティングコンサルやら新しいことにどんどんチャレンジさせてもらった。

    それから、入社した翌年にマザーズ上場、そしてまたその翌年に東証一部上場という貴重な経験を2度もさせてもらい、自分自身もとても成長できたと感じられる4年間だった。

  • AGE.35 【2014】
    株式会社ALBERTに就職

    BrainPadと同じく「分析」の会社(いわゆる競合他社)である 株式会社ALBERT に入社。ポジションは新規サービス立ち上げのプロダクトオーナー。

    “新規事業の立ち上げ” というとても重要なミッションの一端を担い、市場調査から要件整理、デザイナーやエンジニアとの打ち合わせ、仕様書・設計書の作成と必死に働いた。

    結果としてはそのサービスはローンチしてから1年で撤退というとても残念な結果に終わってしまうんだけど、この失敗からたくさんの知見を得られたし、(会社には申し訳ないけど)すごく貴重な経験だったと思う。

    そして、この経験があったからこそ minton を作ることができたと思っている。

  • AGE.37 【2016】
    合同会社mintonを設立 / mintonをリリース

    バドミントン大会のエントリーを未だに郵送やメールでやっていることが(酷いところだと現金書留w)ずっとストレスだった。

    自分はずっと参加者の立場でストレスを感じていた訳だけど、よくよく考えると運営側の人たちも相当な労力とストレスを強いられているに違いない。最近はようやく紙からメールに移行してきつつあるけど、それくらいでは運営側の作業負荷はほとんど改善されない。

    多分、このまま自分が動かなければ誰も動かないんだろうなと思い、リスクを負ってでもこの仕組みを作ることを決意。最初は個人でやるつもりだったが、「コンビニ決済」の機能を導入するには事業主が法人格じゃなきゃいけないとのことで、2016年7月に合同会社mintonを設立。

    システムの開発には(個人で作るには)膨大な費用がかかるため、人生で初となる クラウドファンディング も実施し、開発資金の足しにさせてもらった。このとき支援してくださった方々の名前を、今でも月に一度は見返している。いつか必ず恩返しできるように。

    ちなみに、このときはまだALBERTに勤めていて副業禁止だったので、設立当初は妻に名前を貸してもらい代表に就いてもらった。2016年12月12日、約10ヶ月間の開発を経て バドミントンWebエントリーサービス minton をローンチ。

  • AGE.38 【2017】
    会社を辞め独立 / mintonを株式会社化

    minton をローンチしたはいいが、最初から完全な状態である訳は当然なく、改善要望の対応のためさらなる開発資金が必要になった。当然、リリースしたばかりで利益という利益は出ていない。

    そこで2017年8月、法人格を「株式会社」に変更し、バドミントン繋がりの友人に株を引き受けてもらったり政策金融公庫に借り入れをするなどして(最低限)必要な資金を調達。このタイミングで勤めていた会社を辞め、株式会社minton の代表取締役に就任。

  • AGE.39 【2018】
    SPOITE / MOS をリリース

    まずは会社のポートフォリオを出来る範囲で整備しようと考え、この年2つの関連サービスをリリース。

    SPOITE ・・・ スポーツ協会向けWebサイト構築サービス。

    MOS ・・・ minton online store。略してMOS。バドミントンの総合オンラインストア。

    自分がコーチを務める社会人バドミントンサークル「team-minton」を立ち上げたのもこの年。バドミントンの輪が大きく広がった。

  • AGE.39 【2019.4】
    スヴェンソンホールディングスへのグループ参画

    とても光栄なことに、株式会社スヴェンソンホールディングスの関連会社である株式会社スヴェンソンスポーツマーケティングの経営陣の方から資本提携のお話をいただき、2019年4月1日をもってグループ入りの運びとなった。

    詳しくは プレスリリース をご覧いただきたい。

    ゼロベースから自分で企画し、創り、育ててきたサービス(会社)をバイアウトするということに当然葛藤はあったが、諸々の状況を鑑み、最終的には “心から信頼できるパートナーである” という確信が持てたので決心することができた。

    勤めていた会社を辞めてから約2年間自宅勤務だったが、4月から渋谷のど真ん中にあるオフィスに間借りさせてもらい気持ち新たに活動を開始。

  • AGE.40 【2019】
    現在

    現在に至る。(何か大きなイベントがあれば少しずつ書き足していこうと思う)

バドミントンのこと

中二から高三までの5年間、23歳で再開してからはずっと続けてるので合算すると約23年間のバドミントン人生。(2019年2月現在)

「全日本総合」にはあと1つ!というところで惜敗してしまい届かなかったものの、「全日本シニア選手権大会」という30歳以上が対象の年代別の大会で何度かメダルを獲れるくらいまで上達することができました。

疎遠になってしまった人もたくさん居るけど、これまで自分と関わってくれた仲間・友人には心から感謝しています。

バドミントンの主な実績

西暦 年齢 大会名 種目  結果 
1997年 高校3年 インターハイ MD Best16
1996年 高校3年 国民体育大会(少年男子) 団体 1回戦敗退
2011年 32歳 全日本シニア選手権大会 MD 準優勝
XD 3位
2015年 36歳 XD 準優勝
2018年 39歳 XD 準優勝
minton 平子
これまで、シニアの決勝の舞台で先にマッチポイントを握って逆転負けすること2度・・・(泣)
いつかシニアで金メダルを獲る!という目標に向かって頑張る中年バドラーです。

試合動画

若いときの動画は残念ながら残ってないので、シニアの試合をいくつか。

全日本シニア2017・MD 35歳以上の部・3回戦。惜しくも負けてしまったやつですが、良い試合だったので載せます。左利きが僕です。(対戦相手の本澤さん・白垣さんペアはそのまま優勝!)

全日本シニア2018・MD 35歳以上の部・準々決勝。途中までしか撮れてませんが、シニアバドミントン界のレジェンド藤本ホセマリさんと、日本ユニシスの元キャプテン福井剛士さんとの対戦動画です。最後は地力の差でファイナル負けしましたが、とても楽しかった思い出の試合。(藤本・福井ペアはそのまま優勝!)

さいごに

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

mintonやその他のサービスに関するお問い合わせは、お問い合わせフォームからご連絡いただくか、LINE(ID:shotaman16)またはメール(hirako@minton.jp)にてご連絡ください。

また、バドミントン界でIT・Web関係のことでお困りの方がいらっしゃればお力になれると思いますので、まずは一度、お気軽にご相談いただければと思います。

長くなりましたが、おしまい!


mintonについて
mintonは、バドラー(バドミントンに関わる全ての人)にとって便利で楽しい世界を創出することをミッションに立ち上げられたポータルサイトです。

 
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